高すぎる特定業界への志望

つまり「夢」とか「昔からのあこがれ」みたいな感情や思考に突き動かされて行うような就職活動は、結局のところ自身の可能性を狭めてしまう。

…といったことを某氏が某会でのたもうていて、その時は「確かになるほど」と思わされていたのだけど、後でしばらく考えてみてそれは「選べる立場にないんだから贅沢言うな」ということをものすごく遠回しにかつオブラートに包みまくって言った結果の発言だったように感じられた。
えげつない注釈をすると、その場にいた段階でのぼくらは思いっきり無職でありかつ高学歴というわけでもないわけで、となると確かに贅沢は言えないし、自分が逆の立場だったら言わせたくない。
きっと某氏と同じ言い回しをすると思う。…といったことを自分でいうとかなり自虐的だしその場に居合わせた人には思いっきり失礼に当たるかも知れないけどしかしそれは間違ってはいない。

「夢」とか「昔からのあこがれ」で志望する業界っていうのは得てして元々採用人数が極端に少ない業界だったり、さらに同様の感情を安易に抱いたワカモノたちがお世辞にも志望動機とは言えないその感情のみによっていとも安直に志望してくるという事実にも支えられて、結果ものすごく狭き門になってしまっていたりするのも確かな訳で、現実問題としてそこに「夢」とか「あこがれ」だけで志望するのは相当に愚かなことだとは普通に考えれば 3 分ぐらいで理解できる。
でも「夢」とか「あこがれ」を実現するために実際に具体的な行動を起こしているかもしれない場合はこの限りではないと思う。
例えばマスコミ志望のワカモノでも自身のもつ「夢」や「昔からのあこがれ」や「自己顕示欲」や「プライド」etc...といった感情と十分に向き合った上で、さらに十二分に自身のそれと格闘した上で、具体的に論理的にはっきりとした―つまり感情のみによらない志望動機を掲げていけるような人はきっとそれだけで採ってもらえる可能性がぐぐっと上がってくるんじゃないかと感じられる。
そんな可能性を考えてみると、

「夢」とか「昔からのあこがれ」みたいな感情や思考に突き動かされて行うような就職活動は、結局のところ自身の可能性を狭めてしまう。

とは一概には言えないような気もする。
逆に言えば、そのような業界を安易に「夢」とか「あこがれ」のみで志望してくるような人は採用試験の段階でざくざくと削られていくので、志望するからにはまず自分が削られないためにそこでどう振る舞えばいいのかを考え、さらに自分がそこで何が求められているかをとらえて実行しさえすればいいのだ、ということも普通に考えれば 3 分ぐらいで理解できる。そしてそれを実践することは決して自身の可能性を狭めていることにはならないということも引き続いて理解できる。
ま、それが出来る人は実際には少ない。
そうか少ないから大抵の場合は「自身の可能性を狭めてしまう」ので

つまり「夢」とか「昔からのあこがれ」みたいな感情や思考に突き動かされて行うような就職活動は、結局のところ自身の可能性を狭めてしまう。

といった話に繋がってくるわけか。
しかし少ないけどもそういう人は実際に確かに存在する。
しかもそんな人は特にマスコミ業界に於いて特有に必要とされる我慢強さの裏付けとして勉強を頑張ってきた末の高学歴だったりする。
さらにさらに(自粛
…そうですそういう人になればいいだけの話なのです。
しかしそれは相当に非現実的な場合が多い。
となると場合によっては完全に一概に

つまり「夢」とか「昔からのあこがれ」みたいな感情や思考に突き動かされて行うような就職活動は、結局のところ自身の可能性を狭めてしまう。

と言えてしまう気がしてきた。ってだめじゃん。

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さてちなみに上述の「我慢強さ」は

 フリーターたちがフリーターをしているのは、彼らに労働意欲が足りないからではなく、就業機会が提供されていないからだという議論をよく聞く。就業したいのではなく、就業したくてもできないのだと説明される。現に、2003年の政府統計では、フリーターの88%は「やりがいのある仕事」がしたいと考え、半数以上が技術や技能を身につけたいと考えている。
たしかにそのとおりなのであろう。
 問題は、「やりがいのある仕事」とはどのような仕事であり、彼らが身につけたいと望んでいるのはどのような技術や技能か、ということである。
 もし、IT企業の経営者とか、外資系金融のディーラーとか、俳優とか、ロックミュージシャンとか、映画監督とか、小説家とか、「そういうもの」になりたいのだとしたら、ほとんどのフリーター諸君には一生待っても「やりがいのある仕事」につくチャンスは訪れないだろう。
 以前、TV局のレポーターをやっていた若い女性が今は全然違う事務職で派遣社員になって働いている。
 どうしてTVのレポーターのような人気のある職業を辞めてしまったのか、理由を聞いてみた。訊けばもっとも。
 労働条件がめちゃめちゃ悪いからである。
「だって『やりたい』という人がいくらでもいるんですから…」
 なるほど。そうだろう。「どんな安い給料でもいいからTVで働きたい」という人が後から後から押し寄せるのだから、雇う側は笑いが止まらない。労働条件の改善要求は、レポーターの「替え」なんかいくらでもいるんだということで簡単に蹴飛ばされてしまう。
態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い 内田樹

こういう文脈での「労働条件の悪さ」に対しての「我慢強さ」のことです。

 労働市場では、ふつうの商品の場合と同じく、かなりの程度まで「需給関係」で労働力の交換価値は決まる。
 労働力に対する需要に比べて供給の少ない職種は就業機会が多い。需要に比べて供給の多い職種は就業機会が少ない。
 当然のことである。
 そして、フリーター諸君が「やりがいのある仕事」というときに、そのほとんどは「需要に比べて圧倒的に過剰な職種」なのである。
態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い 内田樹

彼らが「やりがいのある仕事」として列挙するような職種は、まさに彼らがそれを欲望しており、かつ就業できていないという当の事実が示すとおり、その仕事が特殊な技能を要求するわけでも、きわだった個性を要求するからでもなく、「あんな仕事なら自分にでもできる」と思っている人が多すぎる職業だからである。
態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い 内田樹

「自分にテレビの仕事なんてできるかしら…」と思っている人は書類で落とされ、「テレビの仕事なら自分にでもできる」としか思ってない人は面接で落とされるわけです。
逆に言うとそんな人ばかりが受けるから、そしてそんな人ばかりを見ているからすなわちそういう業界の採用事情は世に数多くある業種業界の中でもでも際だって「狂ってる」と言われても仕方ないんだろうなと思います。
 
たまには就職活動日記

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