大きな目標から生まれる小さな目標

某氏から目標を持つように言われた。これはおそらく比較的大きめな目標を、ということであろう。
確かに自分はそのような目標を持たずに日々だらだらと過ごしているし、妥協もよくする。その妥協の結果は良いときもあれば悪いときもある。あーいや悪いときの方が多いか。(しかしその悪い結果をカバーするためにあれこれする中で学んだことも多いのでここら辺は結構複雑)

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大きな目標はないものの、小さな目標はよく立てている...というのは日々の生活ではちゃんと小さな目標、すなわちスケジューリングをしっかりしないと効率よく動けないことがわかってるからなのだけど、それらの小さな目標は総括したところで一貫性があるわけでもない。つまり自分にはやっぱり大きな目標はない。
大きな目標というのは、まずそれを立てた上でそれを細かく砕いた形で作成した小さな目標を達成していくことで達成されうる...ということを考えると、大きな目標がない中で細々した小さな目標をその日暮らし的に立てて行動するのはそれをいくら達成したことをもってしても結局「イイ人生」を送っているとは言い難いのかも知れない。

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この「イイ人生」というのがまた難しい。
つまり人の数だけそれは存在していて、まぁ中にはただのだらしないわがままとしか思えないような、それこそ当事者しか「イイ」とおもっていないような、でもそれは端から見ていれば明らかに「イイって言い張ってるけどそれってもはやどうでもイイのイイだよね、あ言っちゃったごめん泣かないで」といった感じの「イイ人生」もあり得るかも知れないから純粋にその「人の数だけ存在していること」を認めるわけにはおそらくいかないのだけど、そういうことは今回はおいとく。
その某氏の頭の中にある「イイ人生」というのは社会人一般の持つべきものとして非常にはっきりしていて理解しやすいしもちろん妥当であると思う。
それが念頭にあっての「何か目標を持て」という助言はうーむ正鵠を射ている。

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「大きな目標がない中で細々した小さな目標をその日暮らし的に立てて行動するのはそれをいくら達成したところでそれはあまりイイ人生を送っているとは言い難いのかもしれない。」
という考えを認めるとそこでまた問題が出てくる。
これまでおくってきた日々の生活では「広く浅く、たまにど深く」をよしとしてきてて、それは言ってみれば「ひとりメディチインパクト」を起こしやすい環境を作るべくということがあってのことなのだけど、そこで下手に大きな目標などをたててしまうとそれに縛られてその心がけがボキボキとへし折られてしまうおそれがあるということなのです。個人的にそれは避けたい。
避けるべきではないのかもしれないけどどちらかというと避けたい。
と思いつつも今回あらためて「大目標をどかんとたててそれに向かってひたすら突き進む」ということも必要なのかもなーということを考えさせられた。それはそこから生まれてくる成果よりも、途中の過程で得られる、というか絶対に必要とされてくるためにつけなければならない忍耐力とか努力といったことの大切さとその欠如が自分に認められるからに他ならなかったりするわけで。

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まーとりあえずこれまで思いついた様々なアイデアでずっと暖めてきたことの実現を片っ端からやっていこうかしらー…などとこれまた大きな、というよりもかなり大雑把な目標を立ててみた。

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いや、大きな目標もないことはないのだけど、それは自分の思うところの「イイ人生」を想定した目標であって、某氏の想定にある「イイ人生」とその自分の思うところの「イイ人生」に微妙な差違が認められるがゆえになかなかどうして難しい。

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ところで自分のごときはアホみたいに「らいふはくーらいふはくー」って言ってたりするのだけど「大きな目標から生まれる小さな目標とそれを実行するための lifehacks」としては全く持ってつかえない類の lifehacks というのはもはやただの lifecracks でしかなくて、某氏の想定にある「イイ人生」をおくろうとするならそれらは無駄なものとして排除すべきなのかもしれない、ということ最後にふとおもった次第。