「眞鍋が眞鍋ブログを考えた」とそれに対するトラックバックを読んでて思ったこと
もし明らかに相手の間違いだと確信しても、
熱意を持って説得するほどの愛情をかけられない相手には意見しないし、
大切に思う人には、その人なりに色々思い悩んで最終的にたくさんの引き出しを増やした上で間違いを正してほしいと思うので、あくまでも「自分の経験から感じること」としてしか話をしません。
こういう意見は一見謙虚に見えるのだけど実はものすごーく自己中心的な考え方だと思う。
「愛情をかけられない相手」とか平気で言えちゃうのがすごい。
いやこの文脈での「相手」というのはおそらく「つきあってる異性」とかで読み替えとけばいいのだろうけど*1、しかしその他の「相手」に対する態度のとりかたはとなると単純に「愛情をかけられるかどうか」で判断できるものではない気がする。
そもそも私は根っからの個人主義。
自分の意見を他人が受け入れることを期待しない。
他人の間違いを正さない。
いや、間違いだと決めつけて正そうとするほど自分を肯定していないのですね。
まさに「やさしさの精神病理」で分析された90年代の「やさしさ」だと思った。
その「やさしさ」のもつ自己中心的な要素はますます強くなっている感じ。
やさしさの精神病理 大平 健
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