きっかけはあのメール

大学行政論 II を一気読み。
先日買って、校友会・体育会関係の部分だけ読んで放置してた。

大学行政論〈2〉大学行政論〈2〉
川本 八郎 伊藤 昇

大学行政論〈1〉 21世紀の大学職員像―知を束ねるプロフェッショナル集団へ 大学事務職員のための高等教育システム論―より良い大学経営専門職となるために 高等教育概論―大学の基礎を学ぶ 自力活性化に向けた学校法人経営改善の手法

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4 年目にしてやっとこの大学がどんな大学なのかがわかってきた今日この頃。
学生が大学のことを知らない、とくに大学行政なんかはほとんどブラックボックスとしか思えないような状態というのはというのは学内広報がいけてないというのも理由のひとつとしてあげられると思うのだけど、別に知ろうと思ったらちゃんとこういう本とかが存在してるからそれを読めばいいわけで、完全にいけてないというわけではないんだよな。それが大学行政における学内広報の理想的な形だとはけっして思わないけど。
ところで文中に「(おそらく職業観の育成を指すところの)キャリア教育」という言葉がやっぱり何度も出てくるのだけれども、これがなんか気持ち悪い
「世の中のあらゆる職業は官僚的なのだからそこで昇進するために必要なものの見方や考え方としての「キャリア」教育が必要なのだ」ということではまさかありえないだろうし、やっぱり「近ごろのワカモノは職業観をちゃんと与えないとすぐニートになっちゃう」という偏見があるような気がしないでもない。まずそれに対する気持ち悪さがある。さらにそのような職業観は教育によって与えること可能なものであるとして、それこそ google で検索して得られるような知識と同じレベルで扱ってるような気がしてならないということに対する気持ち悪さがある。さらにそれが学生一般に適用されるべきだという考え方があって3重に気持ち悪い

 本:藤原和博『[よのなか]入門』(王様文庫)を立ち読み終え(ごめんね)。
 この本の趣旨はあとがきを読んでもらえば分かりやすい。キャリアというのは「積み上げていくもの」ではなくて、その人のやってきたことの軌跡でしかない。キャリアは結果であって、目的ではないのだ。また夢というものも、もしあるならそれを目指せばいいし、無かったら(こういうことは多い)当座の興味の惹く事柄にただ向かえばいい。夢という大目標ではなく、興味が掻き立てられる小目標を刻んでいけばいい。動いていくことによって分かることも多くある。動かないで考え込んでいるよりは絶対に益がある。もし失敗しても(というか、失敗の方が多いだろう)、それは貴重な財産になる。
世界の果ての向こう側/記憶 15

という意味で使わないと個人的にはしっくりこない。つーかふつうしっくりこないでしょう。「キャリアというのは積み上げていくもの」信仰を強要して一体なにがしたいんだろうかと。キャリア教育キャリア教育いってる人は、自身が学生に「与えよう」としているその「キャリア観」に自分自身をを当てはめてみて、そのしっくりこなさを自覚してもらいたいと思う。
ついでに、ゆとり教育をうけてきた学生だの漢字が書けない学生だの取り上げている一方で本文では人名すら誤字ってるのが激しくださいと思った。