非コミュ = 自身をいじけ気味に「石の下でうごめいているなんか気持ち悪い虫」としてアイデンティファイしている人仮説:

ポストフォーディズムの社会では、フレキシビリティがしばしば残忍な相貌すら帯びる支配法則となる。資本と同様に労働者も、臨機応変に対応し、自らを順応させ、たえず好機をつかみとるように目配りを強いられるし、また、異質なグループ、価値のコミュニケーションをたえずおこない、ネットワークを維持拡大せねばならない。こんな状況においては、確固たるアイデンティティなどむしろ障害でしかない
井隆史 『自由論』 (青土社)p.48 via はてなキーワード - 非コミュとは

現代社会においてそれをすることは推奨されないのにもかかわらず、あえて確固たるアイデンティティーをしかも「非コミュ」「準ひきこもり」といったところに求めている人がいるわけです。まぁアイデンティティーから逃れるということはかなりしんどいという事情もあるわけですが、その求めるという行為自体についてはまだしも、逆にそれを自身で強化するところにまでいっちゃうとやっぱりちょっとなぁとか思うのですよ。

trackback 一覧を読んでみて「あーこれおれのことだ」的な同調をしている人がほとんどだということにガクブル。

ってのはそういうことです。
「自分は社会的弱者なのだー」と声を大にして言う人、その人を結果的にバックアップしている先の論文、どちらも批判されるべきです。
腐ったアイデンティティーは頑張って捨てるべきです。安住してると本当に腐ります。
「いやそれは捨てられないんだ、自分が「非コミュ」(あるいは「非モテ」)なのはある種の運命的なモノであって絶対に捨てられないんだ」とか考えている人こそ、自分でいくら頑張っても本当に捨てられないような運命的なアイデンティティーを持ったもしくは持たざるを得ない状況にある人の存在を知らない、知りたくないんじゃないかしらと思えてならない。
やっぱりそこに安住するのが楽だから捨てたくないだけだったりするのでは。
...とか書くと無条件で「上流階級」扱いされるのかしら。あほくさ。