非コミュの彼岸

えーっ、何それ。ぼくがいいたかったのは「近視眼的なアホは非コミュの存在を認識できていないので「普通の学生」だの「非社交的で孤立気味(だけど社会できちんとやっていけるよ!)」だの意図せず事実を矮小化してるけど本当の非コミュはお前らが思ってるよりもっとひどい想像を絶するようなダメ人間で件の論文の作者もそういったひどい非コミュのことを念頭においているんだよ」ってことであって、それがどこから捨てられぬアイデンティティーだの自己正当化なんて話になるのか、ごめん時間がないのでまたいずれ

最後の「ごめん時間がないのでまたいずれ」という文は普通に空気を読むフィルターを通してみると「陶しいのでもう trackback しないでね」ととれるわけですが、以下あえて書きます。
その前に私は近眼ではありますが「非コミュの存在を認識できていない」「近視眼的なアホ」ではないです。と一応。
さてまず確かに最初に「Student Apathy 2.0」を書いた時点では「ワカモノを無意識に攻撃している大人」、すなわち先の論文の書き手とそれにたいして無意識に同調している人達に対する批判的な感情がとにかく先行してて、さらにその感情を就職活動に絡めたエントリーとしてしかも「ただの Apathy じゃないんだよ」という意味もこめた 2.0 とかいうサムイタイトルにして書いてしまったわけですがそれは結果として、

あのエントリを書いた唯一の目的は「この嫌な読後感を皆さんにも味わってほしい」というものだったので大満足です!
Discommunicative - 「非コミュ=石の下でうごめいているなんか気持ち悪い虫」仮説:まっとうな人間は非コミュを笑ったり見下したりせず、単に無視する

と書かれた id:todesking さんにとってはピントのずれた言及となっています。スミマセン。
しかし記事のその後に関しては読んで行くにつれ「おや?」と思ったことが多々あったのでそれをきっかけに「非コミュ」に関して思ったことを率直に書いたまでです。
問題はここです。
id:todesking さんが自身をエントリーに書かれた「悲惨な非コミュ」として同定されているのであれば、そもそもそんなに「マイノリティーを自称」することは先のエントリーに書いたとおり、「その自称することに使うエネルギーをまずは別のことに使うべきなのでは?」と思わずにいられなくなるのです。
それこそ id:kusamisusa さんがコメント欄指摘されているように、

kusamisusa 『はじめまして。非コミュのダメ人間です。
そういうダメ人間が存在することは分かりますが、その問題の「解決」としては、どのような方向をお考えですか?
「(革命によって)僕たち非コミュのダメ人間でもちゃんと暮らしていけるような社会にしてほしいです」ってことですか?
それとも「僕たち弱者だから(福祉的に)救済してよ」ってことですか?
それとも「僕たち弱者も頑張ってマトモな人間になります」ってことですか?
それとも「みんなみんな死ねばいいのに!」ってことですか?』 (2006/04/28 19:32)
Discommunicative - 「非コミュ=石の下でうごめいているなんか気持ち悪い虫」仮説:まっとうな人間は非コミュを笑ったり見下したりせず、単に無視する

と言いたくなる。
そうでなくて自分以外で自分の周りにいる(ないしはいた)「悲惨な非コミュ」を擁護し、またそのような人たちが周りにいなくとも「いやいや自分でも自分のまわりにもいないけど、実際の世の中には「悲惨な非コミュ」がちゃんと存在してるんだよ、チミら上の人らにはわからないだろうけど」と彼らに同情する形で書かれたのであれば、そこははてな碩学 id:kiya2014 先生の言葉を借りて、

私たちは、彼に対して何も言及し得ないし、すべきではない。ただ彼が声を発せないという事実そのものを”聞く”のみです。
kt’s diary - レヴィナス

...ととりあえずは述べるしかないです。これは彼らを「石の下にいる気持ち悪い虫」として無視するような想定とは別次元の行為です。
とりあえず」と書いたのはここをスタート地点として初めて考える余地ができてくるという意味が微かな希望とともにこもってます。

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さて先のエントリーに対するその id:kiya2014 先生のコメントですが、これはまさに萩原朔太郎がその名文「老年と人生」で描いて見せた

学生時代には不断の試験地獄に苦しめられ、慢性的の神経衰弱にかかっていたし、親父(おやじ)には絶えず怒(おこ)られて叱責(しっせき)され、親戚(しんせき)の年上者からは監督され、教師には鞭撻(べんたつ)され、精神的にも行動的にも、自由というものが全く許されてなかった。何よりも苦しいことは、性慾ばかりが旺盛(おうせい)になって、明けても暮れても、セクスの観念以外に何物も考えられないほど、烈(はげ)しい情火に反転悶々(もんもん)することだった。しかもそうした青年時代の情慾は、どこにもはけ口を見出すことができなかった。遊女や売春婦等のいる所へは、絶対に行くことを禁じられていたし、第一親がかりの身では、そんな遊興費の銭を持つことができなかった。その上僕の時代の学生や若者は、擬似恋愛をするような女友達もなく、良家の娘と口を利(き)くようなチャンスは殆んどなかった。そんなはけ口のない情慾を紛らすために、僕らは牛肉屋へ行ってをあおり、肉を手掴(てづか)みにして壁に投げつけたり、デタラメの詩吟を唄(うた)って、往来を大声で怒鳴り歩いたりした。しかもその頭脳の中には、詰めきれないほど残ってる試験の課題が、無制限の勉強を強(し)いているのである。そうした青年時代の生活は実にただ「陰惨(いんさん)」という一語によって尽される。「青春の歓楽」などということは、僕らはただ文字上の成句として、一種のイメージとしてしか知らなかった。
老年と人生 萩原朔太郎

な人が現代にいると思えばそこで止揚することと思われることですので特に言及はしないでおきます。
「腐ることを良し」とするのはその時代の碩学に特別な権利なのかもしれない。とさえ。(しかし確かに腐るというのはうまい言い方ではなかった。)
少々酔っているので最後の 3 行(この行含む)にはつっこまないでください。おやすみなさい。